木之下惠美ノート

(社)アロマハンドトリートメント協会理事長 らぼぞうスクール校長 ドイツメデイカルハーブと占星術

くわせもの・に当たる

くわせもの・

最近聞いたことがありますか。

わたしは久しぶりに聞いたなあと思いました。

そして、

なるほど!

それは「くわせものだあ!」と

感じたので、ちょっと調べてみました。

くわせもの。

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日本の国語辞典の曙『言海』では、

くわす という言葉で記載されています。

 

くわす 

   變(か)はらしむ

   異(こと)なる體(てい)となす

   肖(あやか)らせて良きに移らす 

  「人をー。」

 

現代語にするとこんな感じでしょうか…。

  変わらせる 

  異なる体と成す 

  あやからせて良くする 

 

ちなみに、広辞苑第七版には、くわせもの がありました。

 

くわせもの

  外観はよく見えて、その実はよくない物、    

       または人。いかさまもの。

  「とんだーだ」 

 

広辞苑にある「くわせもの」のイメージで、

わたしもその言葉に納得をしたのですが、

言海』にある「くわす」の中の言葉を見ていくと、加えて様々な解釈ができると感じました。例えば、「変」の旧字である「變」という字自体に、「変」の持つ本来の強さを感じます。でインターネットに、名前の漢字辞典があったので、それを引いてみると‥

  變(へん/か・わる)

  不安定で姿や性質が今までと違った状態になる。

      また、その状態にする。ふしぎな異常な出来事。

      政治上の事件や内乱・戦争。平常とは異なったさま。

      異常なときの特例。 

     音階を半音だけ低くすること。

     

 なるほど・何となくイメージわかります。

 

かつて古い時代の

   「〇〇の乱」と「〇〇の変」の違いもそうですよね。

〇〇の乱 : その時の世情に大きな乱れがでた「乱」 

〇〇の変 : その時の動きが、後の世に大きな変化を与えた「変」

 

社会とかかわり、ひととかかわると、様々なことがあります。

ひとのみかけ・

ひとのかたち・

ひとの顔・

ひとのうごき・

捉え方はそれぞれだけれど、

「くわせもの」は、見るからにおかしいかたちをしてはいないんですよね。見るからにおかしかったら、だれも「くわされ」ないから。

 

「くわせもの」というのは神出鬼没で、

ある時、

ふと時や場所・人の隙間に入ってきて、

「くわせ」にくるのでしょう。

 

最近「くわせられた~」と、

思うことがあったなら、

それは何かの変わり目で、

何か変革をもたらしてくれ、

その「くわせられた」なにかにあやかり、

これから良くなるということです。

 

「くわせもの」万歳です!

 

ただし、「くわせもの」自身は、

きっとさみしいものです。

 

人生には、収支があると思います。

払えば、支えられる。

払わすばかりだと、支えが得られません。

 

令和の時代に入り、

時代が新しくなり、

様々な価値観が持ち上がり消え、

また持ち上がります。

そこに必要なものは、

今、生きていること・感じることができることへの感謝なんじゃないかなあ・と、思います。

 

色々あるかもしれないけど、

元気出していこー!

時々は休みつつね。

 

木之下惠美

 

 

 

 

更年期は川渡りの時なんだね

更年期は、性ホルモンの調和がとれなくなる時期で、

特に女性は身体の構造の特性上、

男性以上に大きな影響を受けることが多々あります。

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その年齢は人によって差がありますが、

45歳から55歳ころが目安です。

 

免疫・ホルモン・神経の影響を受ける

からだとこころのあらゆる部分に

その症状が現れるため、

その訴えも定まらず、

不定愁訴と呼ばれる症状が見られます。

 

一言でいうなら、

更年期は

こころのバランスと

からだのバランスが

大きく変化をする時期です。

更年期と他の年齢域で現れる不定愁訴の最大の違いは、人生の大ターニングポイントで迎えるか否かということです。

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45歳から50歳ころの女性は、

子育てにせよ

仕事にせよ

趣味にせよ

生き方にせよ

地球上でのやり方にずいぶん慣れた頃です。

 

こんな風に生きていこう・と考えることもできるころです。

 

ところが更年期に迎える女性ホルモンの大きな変化・

閉経に伴って現れる様々な心身の変化は、

それまで生きなじんできた感覚とはずいぶん異なることになります。

 

体力

気力

肌の状態

時間の感覚

全てが変わります。

 

ひとつのものが、

ひとつのことが、

今までとは違って見えることもあります。

 

それまでの人生で経験したことがない「自分への気づき」が起こります。

女性ホルモンのやってきた仕事の大きさに気づきます。

 

更年期時期を、

人生の折り返し地点に位置する

川渡りの時期と表現する人もいます。

 

これまでは人生50年・

と言われていたのですが、

今は人生100年・と言われます。

それまでの時代の倍の寿命を

この時代は可能にしています。

 

人生50年と言われていた今までは、

更年期問題は少数派の問題で、

大勢の問題ではなかったかもしれません。

けれど今は違います。

 

厚労省が公開した「平成29年簡易生命表」によれば、日本人の「平均寿命」が過去最高を更新して、男性は81.09歳、女性は87.26歳だそうです。また、内閣府公表の高齢社会白書「平均寿命の将来推計」によると、平均寿命は今後も伸びると予想され、2060年には男性は84.19歳に、女性は90.93歳になるかもしれないようです。ちなみに明治の終わり頃の平均寿命は、男性で43歳、女性で44歳程度だったようです。

 

明治時代の平均寿命の倍の人生を

生きられる時代に生きている

わたしたちに課せられたものは

何なんだろう。

 

ホロスコープという

地球からみた宇宙の時空から

更年期を考えてみました。

 

ホロスコープでみる

太陽や月、金星や火星、

水星や木星土星は、

人間の発達年齢域の中で、

テーマのように取り上げられ

成長すると考えられています。

 

例えば、

月は

快不快などの情動反応や

原始的な感情を示し、

0歳から7歳までに、

 

水星は

コミュニケーションや

情報のとり方や知性のあらわれ方を示し、

8歳から15歳に

基本を発達させると考えられています。

 

ちなみに更年期時期となる

45歳~55歳の発達年齢域を持つ星は木星です。

 

木星は、

発展と成長、

成功と幸福を発達させる星です。

 

人生の成功ってなんだ?

という疑問を解決するために働きます。

 

次にくる土星は完成形を求めますが、

その発達年齢域は、56歳から70歳です。

 

成功から完成へ

その時期に現れる更年期は、

人生を考えさせ、

今までの伸びしろとは違う時空を望みます。

 

更年期の時期にあたる木星から土星の年齢、

成功から完成形を作り上げようとする時期は、

体力や気力、

時間の感覚や、

美しいと思う感覚を、

違う目で見るように促します。

 

伸ばすより

かたちにせよ

と。

 

 

それは、

自分自身のアイデンティティ

個としての意味を、

軌道修正させるようなものです。

 

頑張ればいいわけじゃあない・と。

 

更年期は川渡りの時期、

その川の深さや広さ、

明暗はひとによってさまざまだけれど、

その向こうに行ったとき、

今までの人生では見つけられなかったものを

見つけることができるんじゃないか・

そんな風に思う私は

54歳になったところです。

あと1年の木星年齢域、

そろそろ土星年齢域も対岸に見えてきなたあ・と感じ始めています。

 

あなたの川はこれからですか

もう過ぎましたか

それとも

まさに今渡ろうとしているところでしょうか

 

それぞれの川渡りですが、

ひとりじゃあないからね。

わたしも時空を感じ、

ここにいます。

 

木之下 惠美

 

時代が「何を」?と聞いてくる

甥っ子と海に行ったからか、

「何を」 という言葉が、

ふっと心に入ってくる。

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実現する方法はいくらでもある時代だから、

「何を」 に心を向けるといいんだ

って、色々な人が言うんだと思う。

 

特別な思いがあるひと以外、

ほとんどの日本人は、

学生時代は「何を」を探し続けて、

漠然とそれとも確信的に、

「何を」を決めて、

進路を進み始める。

 

私は小さい頃、

絵を描く人になりたかったし、

その次は宇宙飛行士になりたかった。

そこからどこをどうさまよったかわからないうちに、大学を出て周りががいいよというところに勤めた。

 

1980年代、いつのまにか主体性がなくなって、

これはいかん!と引き戻る気持ちが膨らんだころ、

体調を崩して「何を」は空中に浮遊した。

空中に浮遊した「何を」は掴みきれず、

よく見えなくなっていった。

そして、

たまたまそこにあったものを掴んだ。

周りからいいよと言われたものだけれど。

 

掴んだそれは、

ひとの心と身体と命と、

自然と空間と時間を見つめる学問。

自然療法とも言う。

 

2000年代に入ると、

体調は普通に戻り、

自然療法を、

ひとと自然と時空を、

仕事にしている自分がいた。

 

2019年5月

「何をするかが大切だ。どうするかじゃあなくて。」

という言葉が心に入ってきた令和の始まり。

 

2020年は来年だけれど、

「何を」ってなかなか見つかるものじゃあない。

けどね、自然療法を仕事にしている私がひとつ思うことは、

この世で見つけたい生きてきてよかったなあって思うための「何を」は、

自分の内側の一番真ん中の心臓の底のあたり(自然療法では太陽神経叢・たいようしんけいそうと言ったりします)にあるから。

 

心にふと映ったものそのままじゃなくて、

心臓の奥の太陽神経叢というところあたりから、

いつかどこかで、自分でも気づくかたちで、必ず外側に映し出されるから。

 

そしてそれは皆、

違う時違う場所で見つけると思う。

 

ただね、

心臓の底にある深い心の中のようなものも入っている太陽神経叢は、

ごちゃごちゃした気持ち、

いわゆるよくない感情が入ってくると、

詰まってしまうことが往々にあるから、

何より胸を張って生きなきゃあいけない。

「何を」を見つける前にね。

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そして私の「何を」を心の底に見つけ映す人生も続く。

 

自己中心と自由の違い

ちょっとハードなテーマだけれど、

「自己中心」と「自由」の違いについて考えてみました。

 

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「自由」には「自己責任」が

「自己中心」には「責任転嫁」が

もれなくついてくると、

一言でそんな風に思います。

 

「責任転嫁」という代物は、「他人のせいだ」と言う言い訳で、外側に現れてきます。

 

もっとうまくできたのに…

わたしはそれを受け入れられない…

あのひとがいるから嫌なんだ…

 

なんて言う言葉であらわれてきます。

 

そのうち、そういう言葉が熟成されると、

 

だから自由にやろうと思う…

わたしが嫌いなものは排除しようと思う…

 

なんていう「ちょっとおかしな自由」で、

まるで決着したかのような顔をあらわします。

f:id:hatsuho44:20190412135629j:image(ソレデイイノ?)

 

誰かだけの「片口(カタクチ)」で、こんな言葉たちを聞くと、人情として「そうか…大変だったんだなあ…」なんて同情しそうになるけれど、

 

世の常は、

「天網恢恢疎にして漏らさず」

真実はいつか世に にじみ出てくるもので、そうなってくると、間違っちゃった「変換された自由の産物」は、「不自由な自己中心」の問題の根本を解決をせずに、「不自由な逃げ道と虚勢(きょせい)」を導き出します。

 

「不自由な逃げ道と虚勢」は、アロマハンドトリートメントの施術の理念と全くの対局にあります。

 

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AHTA公式アロマハンドトリートメント1級2級のテキストは、昨年刷新したのですが、その中に、

「セラピストの安心感と肯定的な気持ちは、クライアントの領域にも広がります。」と言う一文があります。

 

これは、

セラピストは「自由を理解」して、施術を受けてくださるクライアントと「共感のキャッチボール」をすることが大切だと言う意味でもあります。

 

( 自由も共感も、心がカタくなると簡単ではないのですが、AHTAアロマハンドトリートメントの施術を通して体感することによって、少しずつしっかりとしたものになっていきます。)

 

今年は、AHTAアロマハンドトリートメントのもうひとつ上の公式資格 実技習得 課程のテキストも刷新します。

ゴールデンウィークももうすぐそこですね。

今年のゴールデンウィーク元号の架け橋のようにしてあるんですよね。

平成から令和。。

新たなる元号「令和」の時代を前に、

AHTAアロマハンドトリートメントの基本である

自由と共感 を目の前に掲げ、

令和の時代に踏み出そうと思います。

 

木之下惠美

 

 

寄り添う を考える

一般社団法人アロマハンドトリートメント協会(略:AHTA)の総会が終わると、その年が本格的に動き出したと感じます。2月10日、10周年を迎えた今年の総会で、私は、「アロマハンドトリートメントってなに?」というテーマで、AHTAの基本を振り返りながら、「共感」と「自然療法」の融合について話させていただきました。

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それでふと、「共感」と「寄り添う」ってどこか似た匂いがするけれど、ずいぶん違うんじゃないかなあと思い、この2つの言葉を比べて考えてみました。

 

「共感」にどこか近いニュアンスを持つ「寄り添う」。

最近、テレビや雑誌、SNSでも、以前より多く使われるようになった「寄り添う」

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          ↑

     寄り添い名人

 

「寄り添う」を使うときは、

「あなたのことを親身に思っています。いつも近くで。」というような意味で使われているような気がします。

 

けれど「寄り添う」を言葉にして使われると、違う感情が湧いてきます。

「あなたに寄り添いたい」と言われて、

「はいありがとう」と気持ちよく返せるだろうか。

で、

広辞苑第七版 で調べてみました。

 

▪️寄り添う/ぴったりと側による

▪️共感/他人の体験する感情や心的状況、あるいは人の主張などを、自分も全く同じように感じたり理解すること。同感。

 

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自分が精一杯の時に寄り添われると、

時にちょっと鬱陶しいかも。

時によるし、言葉で示されるんじゃなくて、

相手が寄り添ってくれているんだ・

と感じられたら、

力強いし、すごく嬉しい。

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自分が精一杯の時に、

共感されるとどうだろう。

本当に相手が共感してくれたと思えたら、

うれしいし、孤独が少し薄らぐかも。

 

2つとも大切な日本語だから、

丁寧に考えたら、どちらも素敵な言葉なんじゃないのかなあ。

というのが、今の私の答えです。

 

木之下 惠美

 

2つの第2の脳

第2の脳と呼ばれる「手の指」と「腸」。

これを働きで表現し分けるならば、

手の指は「脳の表現者」、

腸は「脳の牧場」 。

 

腸には、

消化吸収と言う基本的な作業以外にも、

神経伝達物質の牧場のような役割がある。

健全な腸は、

セロトニンドーパミンを生産し放出している。

セロトニンは、良質な睡眠をもたらす。

ドーパミンは幸福感。

 

そんな腸を健康にする植物栄養素は、

ハーブに多く含まれており、

ティーとして飲むことにより、

効果的に吸収できる。

 

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例えば、

日本薬学会によると、

ホワイトセージやローズマリーに含まれる

カルノシン酸やカルノソールは、

パーキンソン病

アルツハイマーによって生じる

神経毒から神経細胞を守る

働きを持つことが証明されている。

 

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ホワイセージやローズマリーティーで内服すると、

腸で速やかに働き、

腸内を走る血管から全身を巡る血液を介して、

体の隅々にまで、その作用をもたらす。

 

腸は、

脳でまかないきれないほどの

多量の神経伝達物質を生産し放出している。

腸が健全であれば、

体内総生産量の約8割以上を

腸だけでまかなうことができる。

それはまるで「脳の神経伝達物質生産牧場」だ。

 

腸が不健全であれば、

セロトニンドーパミンもうまく生産出来ず、

何をしても幸せだと感じないし、

落ち込んだり、

イライラしても、

腸も誰も、

平穏な神経に引き戻してくれない。

 

もうひとつの第2の脳は、

「脳の表現者」とも言える「手の指」だ。

 

右手に5本、左手に5本ある手の指は、

それぞれ微妙に働きが異なる。

特に母指いわゆる親指には、

他の指の根元にはない

「鞍関節」と呼ばれる

特殊な動きができる関節がある。

それ以外の4本の指も、

腕の筋肉や神経との連動の差で、

得意分野が異なる。

 

少しずつ異なる指の動きは、

脳からの信号で自在に動く。

 

「ひとの手は神が創った最高の道具である」

 

と言われるが、

手の指はその仕事の大半を担っている。

 

手が指が、

誰の道具か…というと、

手と指の持ち主の脳の道具である。

 

脳は、

それ自体が外界に対して

動き反応し感ずる事は出来ないが、

手を指を使ってその思いを遂げる。

 

例えば、

喉が渇いた・とあなたの体が感ずれば、

その感覚は脳に伝わり、

手・指は、

脳が行いたいことを

表現するものとなって、

ティーカップを取りに行く。

 

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ゆるやかに

それとも

さっと

あるいは

恐る恐る…。

 

ティーカップが熱すぎるか、

ちょうどよいくらいに温かなのかを、

環指(薬指)又は中指が最初に探り、

脳にその具合を伝え、

ついで指でカップに触れ近づいて

手に取りながら、

その温度や中身が何かを、

目や鼻からの情報も受けた脳が

瞬時に判断し、

口へと運ぶ。

 

指は、

外界の最前線で働く「脳の表現者」である。

 

右と左で合計5本ある手の指は、

アロマハンドトリートメントでは、

脳と神経と顔の反射区として、

大切にケアされる。

 

腸も手の指も、

生きる私たちの大切な脳の大きな支援者だ。

 

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ちょっと気にかけてあげたい。

 

アロマハンドトリートメント協会理事長

らぼぞう校長

木之下 惠美

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

空間を考える

誰かと一緒にご飯を食べる時、

向かい合わせになるのか、

隣どうしで横並びするのか、

机の角をはさんで90度の関係をとるのか。

 

10代、初めてのデートで向かい合わせになって座った喫茶店で、ソーダ水のストローを口に運ぶだけに、ハンパない緊張をしたせいか、どうも向かい合わせで座ると緊張する・というか戦闘モードな気分になる。なぜか受けてたたねば、という気分が心の表面にオブラートする。

だから、のんびりと誰かと食事やお茶をするなら向かい合わせ以外を希望する。

 

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こういうのを小さなトラウマと言うのだろうか。そういうトラウマもどきを持った自然療法家だからこそ、セラピストとして相手に向かう時、立ち向かわない施術の位置関係好み、その結果、クライアントとセラピストという施術を受ける側とする側の空間を、本気で考えることになったんだと思う。

 

クライアントとセラピストの相互間の空間を考えると、空間を認識する脳と、脳に空間の認識をさせる情報を送る、目と鼻と耳のことを追求することになった。そして、施術という触れる行為がそこに起きるので、触れることによる心身を含む脳への影響と、骨格と筋肉を含む物理的な可動性とのランデブーを試行錯誤することにも自ずとなった。

 

そうしたら、向かい合わせではなく斜め横、骨格にも筋肉にも脳の情報分析にもリラックスをもたらす空間が、施術をする自然療法家には必須だという結論に達した。かれこれ12年ほど前のこと。

 

さて、それをどう伝えたらいいのかなあなどと考え、アロマハンドトリートメント協会を設立し、講座や施術会を開催し続け、皆ができるようテキストを作り続け、やっとこさ、今年『アロマハンドトリートメントの教科書』が出版されました。ふと気づくと協会は、10年目を迎えてた。

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空間を考えてきた12年。

次の12年も考えていこう。

時を連ねて。