少し前にX(旧Twitter)やインスタで、
コロナ禍の始まりから
このかたについて
振り返り振り返り
何をどうしたっけと
思いめぐらせてみると
浦島太郎の玉手箱に
行き当たるんです
玉手箱を恐る恐る
抱えて立ち止まって
まわりをキョロキョロ
見渡していたような
そんな感覚に近かったんじゃないかなあって
呟きました。
ここではその続きを書こうと思うんです。
そこで書いた玉手箱の中身は、
時間だった気がするんです。
時間というか
時の価値というか
絶対的時間でも
相対的時間でもなく
開けたら瞬時に価値が変わる
過去の時間みたいなものが
玉手箱に入っていたんじゃないだろうかと、
そんなふうに最近思うんです。
2019年のそれまでと
2023年のこれからは
どこかで段差超えを
しているような気がします。
でもそれが何かはまだ
はっきりとはわからないけれど。
ただわかるのは、
気づかなかった価値観の違いが、
さまざまな社会や人間関係の中で
浮き沈みしながら
生活の中で現れたり
消えたりしています。
例えば
街でマスクの人と
そうでない人がいることに
ふと気を向けることもあるけれど、
社会のひとりとしての自分に気付き、
当たり前の景色のように
違和感をやり過ごします。
ハーブや自然素材を
輸入する立場としては
円の弱さと世界のインフレと紛争
自然環境のとめどない不安定さも
小さな闘争感を
内側で奏でながら
焦燥感の波に翻弄されています。
過去の時間を玉手箱の中に仕舞い込み
2024年まであと40日もないんだなあと
未来に向かおうとする自分がここにいます。
木之下惠美