ちょっとハードなテーマだけれど、
「自己中心」と「自由」の違いについて考えてみました。
「自由」には「自己責任」が
「自己中心」には「責任転嫁」が
もれなくついてくると、
一言でそんな風に思います。
「責任転嫁」という代物は、「他人のせいだ」と言う言い訳で、外側に現れてきます。
もっとうまくできたのに…
わたしはそれを受け入れられない…
あのひとがいるから嫌なんだ…
なんて言う言葉であらわれてきます。
そのうち、そういう言葉が熟成されると、
だから自由にやろうと思う…
わたしが嫌いなものは排除しようと思う…
なんていう「ちょっとおかしな自由」で、
まるで決着したかのような顔をあらわします。
(ソレデイイノ?)
誰かだけの「片口(カタクチ)」で、こんな言葉たちを聞くと、人情として「そうか…大変だったんだなあ…」なんて同情しそうになるけれど、
世の常は、
「天網恢恢疎にして漏らさず」
真実はいつか世に にじみ出てくるもので、そうなってくると、間違っちゃった「変換された自由の産物」は、「不自由な自己中心」の問題の根本を解決をせずに、「不自由な逃げ道と虚勢(きょせい)」を導き出します。
「不自由な逃げ道と虚勢」は、アロマハンドトリートメントの施術の理念と全くの対局にあります。
AHTA公式アロマハンドトリートメント1級2級のテキストは、昨年刷新したのですが、その中に、
「セラピストの安心感と肯定的な気持ちは、クライアントの領域にも広がります。」と言う一文があります。
これは、
セラピストは「自由を理解」して、施術を受けてくださるクライアントと「共感のキャッチボール」をすることが大切だと言う意味でもあります。
( 自由も共感も、心がカタくなると簡単ではないのですが、AHTAアロマハンドトリートメントの施術を通して体感することによって、少しずつしっかりとしたものになっていきます。)
今年は、AHTAアロマハンドトリートメントのもうひとつ上の公式資格 実技習得 課程のテキストも刷新します。
ゴールデンウィークももうすぐそこですね。
今年のゴールデンウィークは元号の架け橋のようにしてあるんですよね。
平成から令和。。
新たなる元号「令和」の時代を前に、
AHTAアロマハンドトリートメントの基本である
自由と共感 を目の前に掲げ、
令和の時代に踏み出そうと思います。
木之下惠美