木之下惠美ノート

(社)アロマハンドトリートメント協会理事長 らぼぞうスクール校長 ドイツメデイカルハーブと占星術

時代が「何を」?と聞いてくる

甥っ子と海に行ったからか、

「何を」 という言葉が、

ふっと心に入ってくる。

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実現する方法はいくらでもある時代だから、

「何を」 に心を向けるといいんだ

って、色々な人が言うんだと思う。

 

特別な思いがあるひと以外、

ほとんどの日本人は、

学生時代は「何を」を探し続けて、

漠然とそれとも確信的に、

「何を」を決めて、

進路を進み始める。

 

私は小さい頃、

絵を描く人になりたかったし、

その次は宇宙飛行士になりたかった。

そこからどこをどうさまよったかわからないうちに、大学を出て周りががいいよというところに勤めた。

 

1980年代、いつのまにか主体性がなくなって、

これはいかん!と引き戻る気持ちが膨らんだころ、

体調を崩して「何を」は空中に浮遊した。

空中に浮遊した「何を」は掴みきれず、

よく見えなくなっていった。

そして、

たまたまそこにあったものを掴んだ。

周りからいいよと言われたものだけれど。

 

掴んだそれは、

ひとの心と身体と命と、

自然と空間と時間を見つめる学問。

自然療法とも言う。

 

2000年代に入ると、

体調は普通に戻り、

自然療法を、

ひとと自然と時空を、

仕事にしている自分がいた。

 

2019年5月

「何をするかが大切だ。どうするかじゃあなくて。」

という言葉が心に入ってきた令和の始まり。

 

2020年は来年だけれど、

「何を」ってなかなか見つかるものじゃあない。

けどね、自然療法を仕事にしている私がひとつ思うことは、

この世で見つけたい生きてきてよかったなあって思うための「何を」は、

自分の内側の一番真ん中の心臓の底のあたり(自然療法では太陽神経叢・たいようしんけいそうと言ったりします)にあるから。

 

心にふと映ったものそのままじゃなくて、

心臓の奥の太陽神経叢というところあたりから、

いつかどこかで、自分でも気づくかたちで、必ず外側に映し出されるから。

 

そしてそれは皆、

違う時違う場所で見つけると思う。

 

ただね、

心臓の底にある深い心の中のようなものも入っている太陽神経叢は、

ごちゃごちゃした気持ち、

いわゆるよくない感情が入ってくると、

詰まってしまうことが往々にあるから、

何より胸を張って生きなきゃあいけない。

「何を」を見つける前にね。

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そして私の「何を」を心の底に見つけ映す人生も続く。

 

自己中心と自由の違い

ちょっとハードなテーマだけれど、

「自己中心」と「自由」の違いについて考えてみました。

 

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「自由」には「自己責任」が

「自己中心」には「責任転嫁」が

もれなくついてくると、

一言でそんな風に思います。

 

「責任転嫁」という代物は、「他人のせいだ」と言う言い訳で、外側に現れてきます。

 

もっとうまくできたのに…

わたしはそれを受け入れられない…

あのひとがいるから嫌なんだ…

 

なんて言う言葉であらわれてきます。

 

そのうち、そういう言葉が熟成されると、

 

だから自由にやろうと思う…

わたしが嫌いなものは排除しようと思う…

 

なんていう「ちょっとおかしな自由」で、

まるで決着したかのような顔をあらわします。

f:id:hatsuho44:20190412135629j:image(ソレデイイノ?)

 

誰かだけの「片口(カタクチ)」で、こんな言葉たちを聞くと、人情として「そうか…大変だったんだなあ…」なんて同情しそうになるけれど、

 

世の常は、

「天網恢恢疎にして漏らさず」

真実はいつか世に にじみ出てくるもので、そうなってくると、間違っちゃった「変換された自由の産物」は、「不自由な自己中心」の問題の根本を解決をせずに、「不自由な逃げ道と虚勢(きょせい)」を導き出します。

 

「不自由な逃げ道と虚勢」は、アロマハンドトリートメントの施術の理念と全くの対局にあります。

 

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AHTA公式アロマハンドトリートメント1級2級のテキストは、昨年刷新したのですが、その中に、

「セラピストの安心感と肯定的な気持ちは、クライアントの領域にも広がります。」と言う一文があります。

 

これは、

セラピストは「自由を理解」して、施術を受けてくださるクライアントと「共感のキャッチボール」をすることが大切だと言う意味でもあります。

 

( 自由も共感も、心がカタくなると簡単ではないのですが、AHTAアロマハンドトリートメントの施術を通して体感することによって、少しずつしっかりとしたものになっていきます。)

 

今年は、AHTAアロマハンドトリートメントのもうひとつ上の公式資格 実技習得 課程のテキストも刷新します。

ゴールデンウィークももうすぐそこですね。

今年のゴールデンウィーク元号の架け橋のようにしてあるんですよね。

平成から令和。。

新たなる元号「令和」の時代を前に、

AHTAアロマハンドトリートメントの基本である

自由と共感 を目の前に掲げ、

令和の時代に踏み出そうと思います。

 

木之下惠美

 

 

寄り添う を考える

一般社団法人アロマハンドトリートメント協会(略:AHTA)の総会が終わると、その年が本格的に動き出したと感じます。2月10日、10周年を迎えた今年の総会で、私は、「アロマハンドトリートメントってなに?」というテーマで、AHTAの基本を振り返りながら、「共感」と「自然療法」の融合について話させていただきました。

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それでふと、「共感」と「寄り添う」ってどこか似た匂いがするけれど、ずいぶん違うんじゃないかなあと思い、この2つの言葉を比べて考えてみました。

 

「共感」にどこか近いニュアンスを持つ「寄り添う」。

最近、テレビや雑誌、SNSでも、以前より多く使われるようになった「寄り添う」

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          ↑

     寄り添い名人

 

「寄り添う」を使うときは、

「あなたのことを親身に思っています。いつも近くで。」というような意味で使われているような気がします。

 

けれど「寄り添う」を言葉にして使われると、違う感情が湧いてきます。

「あなたに寄り添いたい」と言われて、

「はいありがとう」と気持ちよく返せるだろうか。

で、

広辞苑第七版 で調べてみました。

 

▪️寄り添う/ぴったりと側による

▪️共感/他人の体験する感情や心的状況、あるいは人の主張などを、自分も全く同じように感じたり理解すること。同感。

 

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自分が精一杯の時に寄り添われると、

時にちょっと鬱陶しいかも。

時によるし、言葉で示されるんじゃなくて、

相手が寄り添ってくれているんだ・

と感じられたら、

力強いし、すごく嬉しい。

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自分が精一杯の時に、

共感されるとどうだろう。

本当に相手が共感してくれたと思えたら、

うれしいし、孤独が少し薄らぐかも。

 

2つとも大切な日本語だから、

丁寧に考えたら、どちらも素敵な言葉なんじゃないのかなあ。

というのが、今の私の答えです。

 

木之下 惠美

 

2つの第2の脳

第2の脳と呼ばれる「手の指」と「腸」。

これを働きで表現し分けるならば、

手の指は「脳の表現者」、

腸は「脳の牧場」 。

 

腸には、

消化吸収と言う基本的な作業以外にも、

神経伝達物質の牧場のような役割がある。

健全な腸は、

セロトニンドーパミンを生産し放出している。

セロトニンは、良質な睡眠をもたらす。

ドーパミンは幸福感。

 

そんな腸を健康にする植物栄養素は、

ハーブに多く含まれており、

ティーとして飲むことにより、

効果的に吸収できる。

 

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例えば、

日本薬学会によると、

ホワイトセージやローズマリーに含まれる

カルノシン酸やカルノソールは、

パーキンソン病

アルツハイマーによって生じる

神経毒から神経細胞を守る

働きを持つことが証明されている。

 

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ホワイセージやローズマリーティーで内服すると、

腸で速やかに働き、

腸内を走る血管から全身を巡る血液を介して、

体の隅々にまで、その作用をもたらす。

 

腸は、

脳でまかないきれないほどの

多量の神経伝達物質を生産し放出している。

腸が健全であれば、

体内総生産量の約8割以上を

腸だけでまかなうことができる。

それはまるで「脳の神経伝達物質生産牧場」だ。

 

腸が不健全であれば、

セロトニンドーパミンもうまく生産出来ず、

何をしても幸せだと感じないし、

落ち込んだり、

イライラしても、

腸も誰も、

平穏な神経に引き戻してくれない。

 

もうひとつの第2の脳は、

「脳の表現者」とも言える「手の指」だ。

 

右手に5本、左手に5本ある手の指は、

それぞれ微妙に働きが異なる。

特に母指いわゆる親指には、

他の指の根元にはない

「鞍関節」と呼ばれる

特殊な動きができる関節がある。

それ以外の4本の指も、

腕の筋肉や神経との連動の差で、

得意分野が異なる。

 

少しずつ異なる指の動きは、

脳からの信号で自在に動く。

 

「ひとの手は神が創った最高の道具である」

 

と言われるが、

手の指はその仕事の大半を担っている。

 

手が指が、

誰の道具か…というと、

手と指の持ち主の脳の道具である。

 

脳は、

それ自体が外界に対して

動き反応し感ずる事は出来ないが、

手を指を使ってその思いを遂げる。

 

例えば、

喉が渇いた・とあなたの体が感ずれば、

その感覚は脳に伝わり、

手・指は、

脳が行いたいことを

表現するものとなって、

ティーカップを取りに行く。

 

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ゆるやかに

それとも

さっと

あるいは

恐る恐る…。

 

ティーカップが熱すぎるか、

ちょうどよいくらいに温かなのかを、

環指(薬指)又は中指が最初に探り、

脳にその具合を伝え、

ついで指でカップに触れ近づいて

手に取りながら、

その温度や中身が何かを、

目や鼻からの情報も受けた脳が

瞬時に判断し、

口へと運ぶ。

 

指は、

外界の最前線で働く「脳の表現者」である。

 

右と左で合計5本ある手の指は、

アロマハンドトリートメントでは、

脳と神経と顔の反射区として、

大切にケアされる。

 

腸も手の指も、

生きる私たちの大切な脳の大きな支援者だ。

 

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ちょっと気にかけてあげたい。

 

アロマハンドトリートメント協会理事長

らぼぞう校長

木之下 惠美

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

空間を考える

誰かと一緒にご飯を食べる時、

向かい合わせになるのか、

隣どうしで横並びするのか、

机の角をはさんで90度の関係をとるのか。

 

10代、初めてのデートで向かい合わせになって座った喫茶店で、ソーダ水のストローを口に運ぶだけに、ハンパない緊張をしたせいか、どうも向かい合わせで座ると緊張する・というか戦闘モードな気分になる。なぜか受けてたたねば、という気分が心の表面にオブラートする。

だから、のんびりと誰かと食事やお茶をするなら向かい合わせ以外を希望する。

 

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こういうのを小さなトラウマと言うのだろうか。そういうトラウマもどきを持った自然療法家だからこそ、セラピストとして相手に向かう時、立ち向かわない施術の位置関係好み、その結果、クライアントとセラピストという施術を受ける側とする側の空間を、本気で考えることになったんだと思う。

 

クライアントとセラピストの相互間の空間を考えると、空間を認識する脳と、脳に空間の認識をさせる情報を送る、目と鼻と耳のことを追求することになった。そして、施術という触れる行為がそこに起きるので、触れることによる心身を含む脳への影響と、骨格と筋肉を含む物理的な可動性とのランデブーを試行錯誤することにも自ずとなった。

 

そうしたら、向かい合わせではなく斜め横、骨格にも筋肉にも脳の情報分析にもリラックスをもたらす空間が、施術をする自然療法家には必須だという結論に達した。かれこれ12年ほど前のこと。

 

さて、それをどう伝えたらいいのかなあなどと考え、アロマハンドトリートメント協会を設立し、講座や施術会を開催し続け、皆ができるようテキストを作り続け、やっとこさ、今年『アロマハンドトリートメントの教科書』が出版されました。ふと気づくと協会は、10年目を迎えてた。

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空間を考えてきた12年。

次の12年も考えていこう。

時を連ねて。

 

 

 

 

50代って何だろね

って、本当に考える53歳。

 

20代はね若いよね

とか

30代はさ悩み多いよね

とか

40代はやっぱり自由だよね

なんて思ってきたんだけれど、

50代は正念場っていうか、

まー色々整頓しようか…と思えた。

 

あ! 誤解のないようにいうと

精神的な部分とか

プライベートな本棚的な部分ね。

人生を大切にするための整頓。

 

がちゃがちゃーって突っ走るんじゃなくて、

丁寧に、時空を見渡すように歩くために。

答えをひとつずつ見つけるために。

そして次のステージに上がるために。

茶色い馬から白いペガサスになるみたいな感じ。

精神がね。

 

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そう簡単にペガサスの羽は生えてこないけど、

ま、

そこが人生の面白さだとも思いながら、

そういうオトナな精神チャレンジ!

 

大切なことはなあに?

大切だけれど誰かにお任せできることはなあに?

記憶の中に残すだけでいいのはどれ?

失敗したのはどれ?

なんて感じでね。

 

自然療法家とは、

時間と空間の中で、

風や水、火や土の息づかいを聴くように、

そのひとの心や身体が、

そのひとの命にどんな影響を与えていて、

それが何を意味しているのか、

何を欲しているのかを考える仕事。

 

50代は、自然療法家にとって、

ペガサスになる大切な時空かもしれない。。

 

木之下惠美

アロマハンドトリートメント協会理事長

らぼぞう校長

 

 

 

ラジオにて

アロマハンドトリートメントについて、

東海ラジオ の「小島一宏のモーニングッド」の

「モーニングカルチャーのコーナー」で、

11月19日から23日まで1週間、

お話をさせていただきました。

 

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アロマハンドトリートメントには、

大まかに3つのケアである

①タオルトリートメント

②オイルトリートメント

③反射区療法

があり、

自然素材の効能を活かしながら行います。

 

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アロマハンドトリートメントの

そんな概観を

毎日数分間、

少しずつ広げ進めて

お話ししました。

 

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 ラジオで話す「アロマハンドトリートメント」は、

案外…と言ってはなんですが、

思いのほか楽しかったことに感動しました。

 

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ラジオ 

楽しい!

 

ラジオ

聴いたことなかった…。

 

今は、

スマホのアプリ 「radiko 」 で

時間をずらしてもどこからでも聴けます。

ありがたい!

テレビもいいけれど、

ラジオ

いいね!

 

「小島一宏のモーニングッド」の

小島一宏さんと

森由貴子さんの

掛け合いに大きく助けられ、

出ている私自身が楽しめました。

 

アロマハンドトリートメントのカケラ

きっと楽しんでいただけると思います。

 

コミュニケーションヒーリングという新ジャンルを、

セラピーの中に送り出した一般社団法人アロマハンドトリートメント協会の、

アロマハンドトリートメント。

ラジオから一層その価値を確信させていただけました。

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ありがとうございます。